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アドマン(元)のブログ「広告会社~バーチャルとリアルの狭間で」

名古屋の広告会社に働いていた元アドマンのブログ。広告とインターネットに携わる男が、時代の転換期で日々感じること、気づくこと、体験したこと、また、読んだ本や見た映画の感想などを思いのままに書き綴ります。

再開への誓い

昨年夏以降、急激に仕事が忙しくなり、ブログが書けなくなっていました。

アウトプットの量はインプットの量に比例する。まさにその典型的な状態。

本を読むことも滞り、勉強会に出かけることもままならず。

それではお客様にも還元できない、近いうちにその循環を良い循環に変えたい、
そう思っています。

まずはブログの再開、そのためにインプットを増やします。


誕生日に思うこと

8月1日、また誕生日を迎えた。

あえて何回めとは言わないが、おそらく人生で迎える誕生日の数の4/5程度にはなるのだろう。

本来誕生日とはおめでたい日という考え方の私。

けれどここ最近は、誕生日が近づいてくるとなんだか憂鬱な気分になる。

同世代のみんながそうなのかどうか、聞いたことがないのでわからない。

けれど、共通の思いの人間はおそらく、ある程度いるのではないだろうか。

原因のひとつは、歳をとることが楽しいと思えないからだ。

趣味の一つもなく、将来に向けての蓄えもない。

こんな私にも、誕生日は容赦なくやってくる(笑)

そんな中で、以前こんな記事を読んだことを思い出した。

誕生日とは、自分が生まれた日でもあるけれど、
自分を産んでくれた母親の出産記念日でもあるということだ。

母親がいなければ自分は存在しない。だから母親に感謝する日…

まぁ、よくもこんな暑い日に頑張って。

ほんと、感謝である。

集中力と持続力。

働いて生きていく上で、大切なものはなんだろう?

最近、また読み返している村上春樹氏の長編や紀行文。

その中に、マラソンのトレーニングと長編小説を書くことの共通点についての記述があった。

村上氏いわく、その共通点は「集中力」と「持続力」が肝心で必要不可欠ということだ。

余分なことを考えず走るということに集中する。それをひたすらに続ける。

邪念があったり、油断があったりすると、30km過ぎからそれまでの調子が嘘のように走れなくなるようだ。長編小説も同様。計画を立て、集中して続けないと、ゴールにたどり着けない。

そんな話を読んで、はたと自分自身の現状に立ち返った。

考えてみれば、長く書き続けていたブログもここ2ヶ月は投稿画面を立ち上げることすらなかった。週に2回は、と決めていたウォーキングも、週に1回もできていない。いつしか汗ばむ季節がやってきてしまった。

会社勤めではなく、個人事業主となったから余計に意識する必要があろう。なにせ朝起きなくても誰にも咎められることはない。目覚まし時計として役割を果たせるのは自分自身の自覚だけである。

それにしても、マラソンと長編小説を例にあげる村上氏に対して、ブログとウォーキングとは(笑)。

働いて生きていく上で大切な集中力と持続力。今一度、肝に銘じよう。

【本ばかり読んでて実践しないなら、意味ないじゃん!】それでも本を読む理由とは。

私の読む本のほとんどが、仕事関係の本ということを知っていて、ごくたまに、そんな風に言われることがある。


なので仕事の本ということに限って、本を読む理由を書いてみる。


まずよく考えてみてほしい。
本は商品なわけだから、売れるようにそれなりに脚色されている。
当たり前の話だ。なので、そのまま実践したところで、大抵は本のようには上手くいかない。


ではなぜ、わかっていても、そんなに仕事の本を読むのか?


私の広告会社時代。
ナレーターの技量を示す言葉として「引出し」という言葉がよく会話の中に登場した。
渡されたナレーション原稿に対して、ナレーターが自分の中のどの「引出し」を開けるか。

すなわち「引出し」の数をたくさん持っているナレーターが、レベルの高いナレーターというわけなのだ。
そして、この引出しを数多く持つことは案外と難しい。


私が本を読む理由もこれに近いものがある。

広告やマーケティングの世界では、商品やサービスを売るための導線を考えることを「コミュニケーション設計」と言ったりするが、まさにその際に求められるのが、先に挙げた「引出し」の数なのではないだろうか。

なので、コミュニケーション戦略と考えれば、すなわち引出しの数は「武器」の数と言えなくもない。


話をもとに戻そう。特に今、なぜ仕事の本をたくさん読むのか?

現代はマス広告以外にSNSとかも登場して、マーケティングコミュニケーションは、より複雑に、より多層になってきている。


なので、コミュニケーションを考える際には、あらゆるケースを想定して「引出し」の数は多ければ多いほど、戦略の精度は上がるというのが、今の私の考え方だ。

数が少なければその逆、特にネットへの理解が薄ければ提案そのものが片手落ちにもなりかねない。
だからこそ知っていた方が良いこと、知っておかなければならないことは、ますます増えているのだ。


それゆえに、あくまでそのまま実践するのではなく、実践するためのシミュレーション材料として情報を持っておくに越したことはない、というのが今の私の「仕事の本を読む理由」なのである。


ただ冒頭にも書いた通り、情報に振り回されてはいけない。
本の中の盛られた部分は自らのフィルターで濾過できるだけの冷静さ、知見が求められる。


とかなんとかいっても、今のところ、私の「引出し」はあまり使われていないのは事実(笑)

それでも、その日に備えて、今日も本を読むのです。

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美濃焼の町で感じた、愛されるお店のつくり方。

その店、「だいどこ やぶれ傘」に着いたのは、開店時間5時の5分くらい前。

路地入口

店は路地を少し入ったところ。路地には明かりもなく薄暗く、店の前には猫が数匹、なんとものんびりとした風情に包まれていた。反対方面から来たのでよくわからなかったが、気づけばJR多治見駅からほぼ2分という至近距離。名古屋から快速に乗れば30分ちょっとで駅まで着くわけだから、大都市ではありえないこのロケーションも魅力である。

なぜこの店なのかというと、ナガオカケンメイさんのd&dプロジェクトのひとつ「d&d Travel GIFU」で紹介されたこと。懇意にしている岡田さんが、それを読んでさっそくアクションを起こしてくれた。あいかわらず反応が早くてすばらしい、まさに神対応(笑)

「だいどこ やぶれ傘」は、地元で評判の居酒屋。外の静けさが嘘のようで、開店間際というのに店内は活気に包まれていた。

食材と店内

とはいえ、基本的に地元の常連客を大切にしているお店。当日も予約で一杯とのことだったが、開店後もコの字型のカウンター周りはしばらく私たち二人だけ。聞くところによれば、予約は常連客メインの2階から埋まり、ついで囲炉裡まわり、最後にカウンター周りとなるらしい。そのカウンター周りも予約は入っているものの常連のお客さんが来る時間はアバウトらしく、帰る頃にようやく埋まるようなゆるさ。そんな中で、途中フリーのお客は、予約でいっぱいと断られていた。無理にお客を増やさず、あくまで地元の人を大切にする、そんな考え方を大事にしているお店だということがあらためてわかった。

さて。肝心な料理である。この店にはお品書きも料金表も一切ない。1月に行った伊勢の一月家もそうだったが、愛される店はお客様と距離が近く、お客様との信頼関係の上に成り立っているのだ。ゆえに決め事も少ない。そもそも何がいくら、高いか安いか、この店はどうのこうのという話は存在しないのだろう。お店の価値観に納得できる人が常連になり、納得できない人は再びやってはこない。こうしてお客様の質とお店との相性レベルが上がっていく。それが店を磨いていくのだ。

注文は、目の前に並んだ食材、オススメの食材をお店の人と会話しながら決めるスタイル。お酒も同様である。この会話がまた、なかなか楽しい。注文のついでに食材の調理方法を聞いたり、食べ方のアドバイスをもらったり。お店の人の気さくな人柄が、食べる前の期待感をさらに盛りたててくれる。こうしたちょっとしたやりとりが、チェーン店では体験できない楽しみのひとつなのだとあらためて思った。

食材


目の前にならぶ食材は今採れる地の野菜が中心。焼鳥やメンチカツ、クリームコロッケも頼んだが、新玉ねぎ、セリ、巨大なナメコ、こしあぶら(隣のお客さんから頂いた)、手作りの朴葉ずしなど、どれも絶妙の味。そしてお酒も当然、地元の酒「三千盛」がメイン。そして、意外なヒットが隣町、八百津の酒「富」。濃醇で、米の旨みが感じられる美味しいお酒だった。

新たまねぎ

なめこの生姜醤油焼

こしあぶら

揚げ物

片口に八百津の酒

いわずもがな、この店のもうひとつの楽しみは、器として使っている地元の美濃焼。そもそも開店当時から美濃焼を使っていたようだが、今では美濃焼の作家さんたちが、自身の焼いた器を使って欲しいと持参してくるようになったらしい。味わいのある美濃焼が素材を活かした料理と相まってなんとも言えない世界を醸し出している。お店の人は「割ってはいけないので食器洗いが大変」とこぼしていたが…(笑)そんなこんなで、予約の制限時間はあっという間に終わってしまった。

美濃焼の器

特別なものは何もない。季節を感じられる、のびのびと育った地元の食材と地元で焼かれた器。そして、お店を支える地元の人たち。お客たちもその一員だ。そんな当たり前の要素が互いに響き合って、ここでしか味わえない独特の空気感を作り出している。どんな料理よりそれが最高のご馳走なのかもしれない。時折、そっと目の前に様子を見にあらわれる女将さん。居酒屋を開くために多治見に移り住み、思いを実現させたという彼女の人柄によるところも大きいのだろう。

良い店とは求めて作るものではなく、時間の経過の中で自然と作り上げられていくものなのだ。だからこそ、経営者は何を考えるべきか、何を大切にすべきか。小さなお店のブランディング(ブランディングという言葉を使うかどうかも微妙であるが)はかくあるべき。そんなことを考えつつ存分に楽しんだ一夜だった。岡田さん、今日もありがとう。


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